自分勝手な映画批評
誰も守ってくれない 誰も守ってくれない
2009 日本 118分
監督/君塚良一
出演/佐藤浩市 志田未来 柳葉敏郎 佐々木蔵之介
小学生の姉妹を殺害した容疑で18歳の少年が逮捕される。刑事の勝浦(佐藤浩市)は同僚の三島(松田龍平)と一緒に娘へのプレゼントを買っていたのだが…

マスメディア・ネット社会が扇動する世の中

殺人事件の容疑者となった男を兄に持つ少女と、その少女を保護する刑事を描いた作品。誰もが思いつかないような斬新なテーマとまでは言わないが、難しい問題を取り上げた意欲作だと思う。

事件に何ら関わりがなければ、加害者の家族に法的には責任はない。だが、心情的には、特に被害者の家族や被害者に所縁がある人にとっては、そうは簡単に割り切れる事ではないだろう。本作は、そんな人間心理と、事件を伝える報道のあり方、インターネット社会のあり方が描かれている。

不特定多数の人々に対して伝達する術を持っているテレビのニュース番組や新聞等のマスメディアは、世の中を動かすポテンシャルを持っている。だが、マスメディアは決して公平ではない。マスメディアから発信される情報は必ず意思を伴っているからである。キャスターや記者の個人的な見解を含んだ発言や記事の内容もちろんだが、それ以前に、番組や紙面で何を取り上げるか?という取捨選択作業の時点で制作者の意思が介入しているのである。

限られた番組の時間や新聞の紙面数の中では、取捨選択は仕方のない事である。また、報道内容の公平性を保とうとするメディアもあるだろう。しかし取捨選択自体に制作者の意が必ず介入する、すなわち絶対に何かしらの意思が存在するのがマスメディアの性質であり、いくら公平な内容の報道でも、そういった根本的な性質の上で成り立っている事を忘れてはならないと思う。

我々は世の中で起きている事件の情報の多くをマスメディアから仕入れるのだと思う。実際に世の中で起きている全ての事を実体験出来ないのだから、マスメディアからの情報に頼るのは仕方のない事だと思う。ただ、そうなると、もしかすると自分自身の意見がマスメディアからの受け売りになってしまう可能性も大いにあり得るのだと思う。

権力による言論統制がなくても、意思を伴う情報の一方的な発信は一般市民にとっては同じ事。マスメディアの意思により扇動される可能性は十分に秘めている。マスメディアからの情報を鵜呑みにするのではなく、自分自身でしっかりと精査し判断するというスタンスは常にどこかでとっていなければならないのだと思う。

現代のインターネット社会も問題を多く含んでいる。「便所の落書き」等と揶揄されるインターネットの掲示板の書き込み。基本的には自分の発言には責任を負うべきだと思うが、匿名性の意義も大いにあるとも思う。

そう考えると個人のモラルに頼らざるを得ないのかもしれない。しかしモラルが崩壊するならば、厳格なルールを決めなければならなくなる。それは罰則を伴うものなのかもしれない。それは人間の尊厳を犯しかねない由々しき事ではないかと思う。そんな甘い考えでは犯罪は増加する一方だという意見もあるだろうし、もっともだとも思う。だが、まずは、そうなる前に個人として出来る事はモラルをしっかりと持つ事なのだと思う。

犯人逮捕後の喧騒、その臨場感は秀逸。ただ正直、物語の推移が少々都合良く、また詰め甘さも感じない訳ではない。しかし、本作は作品自体で完結するのではなく、問題提起の意味合いも持つ作品なのではないかと思う。その意味でも大いに意義がある作品ではないかと思う。

人気・実力を兼ね備えた俳優達のキャスティングは作品に見栄えの良さと安定感を同時にもたらす。その中でも、志田未来、冨浦智嗣の若き才能が特に印象に残った。


>>HOME
>>閉じる



★前田有一の超映画批評★

おすすめ映画情報-シネマメモ