自分勝手な映画批評
十三人の刺客 十三人の刺客
2010 日本 141分
監督/三池崇史
出演/役所広司 山田孝之 市村正親 伊勢谷友介 稲垣吾郎
弘化元年三月五日、明石藩江戸家老間宮図書(内野聖陽)が切腹をした。残された書状には主君・斉韶(稲垣吾郎)を禁める文言が書き連ねてあった。

すぐ戻るさ、遅ければお盆に帰ってくる… 迎え火炊いて待っててくれ

暴君に立ち向かう十三人の侍の姿を描いた作品。1963年に公開された同名映画のリメイク。

オリジナルがある事も影響しているのだろうが、本作は基本的には真っ当な勧善懲悪をベースにしたチャンバラアクション時代劇、すなわち時代劇の体裁としては極めて王道のエンターテインメントだと言えるだろう。ただ、過剰なまでに生々しくグロテスクな映像が存在するのも本作の特徴である。

過激な描写はリアリティーを語る上で欠かせない要素だと言えるのかも知れない。だが、一方で王道のエンターテインメントの感覚からは掛け離れた、ある意味では邪道だとも感じる気味悪さをもたらしていると言えるだろう。ただ、この表現方法こそが、まさしく三池イズムなのだろうし、また、このアンバランスさが本作の大きな特色でもあるだろう。

江戸時代後期、将軍の弟で明石藩主の松平斉韶は生来の残忍な性分であり、色を好み、家柄をわきまえない振る舞いが目に余る誰もが認める暴君であった。遂には業を煮やした家臣、明石藩江戸家老間宮図書が切腹し、自らの命と引き換えに非情な実情を訴える事態にまで至ってしまった。しかし、将軍はこの事件に対し穏便に計らうようにと通達するのだった。斉韶は翌年、将軍の意向により老中の職に就任する予定。斉韶の老中就任、すなわち斉韶が天下の政に関わる事に危険を感じた老中の土井大炊頭利位は、島田新左衛門を呼びつける。そこで新左衛門に斉韶の残忍な行為で息子とその嫁を失った牧野靭負に会わせて話を聞かせ、更には斉韶を楽しませる為に手足を切られ、終いには飽きたので捨てられた女に会わせて斉韶の暴虐振りを実感させ、自分の立場では出来ない斉韶の暗殺を暗に指示するのだった。

本作の大きなポイントはバラエティー豊か、且つ豪華な俳優を集め、しかも適材適所だと感じる絶妙のキャスティングであるだろう。

その中でも、やはり一番に心を惹かれるのが主人公の新左衛門を演じる役所広司である。主役を演じる俳優は数多いが、主役の器量が備わっている俳優はごく僅か。そんな事を本作の役所を見て思い知らされる感じである。決して派手ではないのだが、質実剛健な貫禄たっぷりの頼りになる座長として役所が牽引するので本作が安定し、更には強くて重い作品に仕上がっているように思う。

新左衛門に従う十二人の侍も素晴らしい。伊原剛志の綺麗に捌くというよりも大鉈を降り下ろすような殺陣は大迫力。さすがはジャパンアクションクラブ出身なだけあると感心させられる。山田孝之の無骨で無頼な風貌は、本作のみならず今後の時代劇の大きな財産になる予感がする。伊勢谷友介の役柄は厳密には侍ではないのだが、そのユニークな役柄と、それ以上にユニークを加味した演技は、本作に大きなアクセントを付けている。

十三人も侍がいるので、残念ながら大きくフィーチャーされない登場人物もいる。人数が多い割にはキャストが豪華なので最初はもったいないと思ったのだが、時代劇ならではの演出がそれぞれに見せ場を用意しており、俳優たちもその期待に答えている。高岡蒼甫や石垣佑磨辺りは出番は少ないのだが、それでもしっかりと仕事をし、足跡を残している。

本作のキャスティングが絶妙であるのに違いはないのだが、意外だと感じるサプライズなキャスティングも見受けられる。十三人の侍の中でそう感じるのは松方弘樹だ。松方の演じるのは新左衛門に仕える懐刀というような役柄。松方の築き上げた実績を考えれば松方が演じるような役柄ではないと思う。だが、これが実に良く効いている。松方の魅力が存分に活かされているとは言えないのかも知れない。しかし、松方がそこに収まる事で作品が引き締まったと言えるだろう。

絶妙だがサプライズに感じるキャステングは敵側にも現れており、市村正親にも当てはまるだろう。劇団四季出身の市村。活躍の場を映像にも求めてからは、必ずしもそのキャリアに縛られた役柄を演じてきた訳ではないのだが、それでも時代劇を演じるのは一番掛け離れているのではないかと思う。だが、そんな事などどこ吹く風で実に相応しく、且つ重厚に演じている。

本作で一番難しい役柄は市村が演じる半兵衛だと言える。それを見事に演じ切る市村の才能の奥深さ。改めて優れた俳優である事を実感させられる。

そして、本作のキャステングでの最大のサプライズは、悪の根源である斉韶を演じた稲垣吾郎であるだろう。勧善懲悪で要となるのは悪役の存在。つまり悪役が憎ければ憎い程、正義が際立つのである。言わば悪役は、報われる事がない影の主役。そんな損な役回りに国民的なアイドルをキャスティングした驚きと違和感。しかし、これまた絶妙であり、本作は見事なまでに絶対的な悪を実現させている。

魅力的な悪役に仕立てたのは稲垣だけの功績ではなく、役柄自体の予めの設定である部分が大きい。ただ、人道を大きく踏みはずした狂気の悪役を、国民的なアイドルのイメージをかなぐり捨てて臨んだ勇気、そして素晴らしい成り切り振りには感心させられる。

本作のような悪役に限らないのだが、稲垣は一般的に共感出来る役柄よりも、少なからず世間からズレた役柄の方が輝けるのではないかと個人的に思う。アイドルという盤石な基盤がある稲垣ではあるが、独特な表現者としての今後の活躍も期待したい。

分かりやすい勧善懲悪が成り立つのは時代劇ならではだろう。そして「武士とは何ぞや?」と作中で自問自答させるのは現代で製作された時代劇ならではだろう。

本作を観て私が感じたのは武士とは潔いという事。やけっぱちな訳ではない。あきらめが早い訳でもない。突き付けられた運命を天命だと納得出来る、また、因果の法則を真正面から受け止め、責任の重みを理解して自らを逃げずに戒める。そんな潔さを本作の侍たちから感じるのである。

その精神は生きている時代が大きく関係しているだろう。そして、現代にそのまま当てはまるものでもないだろう。ただ、事あるごとにサムライともてはやす風潮のある現代。軽くなってしまった侍の本当の意味を本作が示してくれているような気がする。


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