自分勝手な映画批評
瀬戸内少年野球団 瀬戸内少年野球団
1984 日本 141分
監督/篠田正浩
出演/夏目雅子 山内圭哉 大森嘉之 佐倉しおり
昭和20年8月15日。日本は戦争に負けてアメリカに降伏した。天皇陛下の御言葉は、淡路島の小学生の竜太には難しかった。天皇陛下の御言葉を、一緒に並んで校庭で聞いていた者の中に、不思議な事に誰も泣く者はいなかった。空襲がなくなると喜ぶ人もいた。担任の駒子先生だけが泣いていた。竜太も1人になった時、泣いた。

私たち野球しましょう

原作は作詞家・阿久悠の小説。終戦直後の兵庫県淡路島の人々の姿を描いた作品。

作品タイトルからして子供主体の作品に思えるのだが、必ずしもそうとは言い切れない。確かに子供の物語は描かれているのだが、それは作品の半分であり、残りは大人の物語。なので、大人と子供、両方の視点から描かれているユニークな作品であると言えるだろう。

但し、両者には共有しているものがある。それは戦争体験。大人も子供も引っ括めた戦争を体験した人たちの群像劇が本作の物語である。

終戦を迎え、敗戦国となった日本。淡路島の小学校のクラスでは教科書の問題となる箇所を墨で塗りつぶす作業が行われていた。そんな作業に嫌気が差し、反抗して教室を飛び出す三郎。級長の竜太は担任の駒子先生に言われて三郎を追い掛ける。ただ三郎は、竜太が追ってくるのを予測し待ち伏せしていたので結果的に二人は落ち合い授業をサボるカタチとなった。その時、島に船が到着する。二人は、その船に乗って島にやって来た提督と呼ばれる男と、その娘の武女に出会うのだった。

丁度、終戦の瞬間からスタートする本作は、ビッグバンドジャズの代名詞「イン・ザ・ムード」に乗って華やかに幕が開ける。それは戦争が終わった喜びを一気に爆発させたように感じられる、とても印象的なオープニングである。しかし、そのムードは次第に終息して行く。そもそも本作の登場人物たちは、必ずしも戦争が終わったからといって喜んでいる訳ではない。

戦争がない世の中が素晴らしいのは言うまでもない。なので戦争が終わった事は喜ばしい事であるだろう。だがしかし、戦争で失われたモノもある。ましてや敗戦国であるならば、その損失は莫大であるだろう。教科書を墨で塗りつぶす事が象徴するように、ついさっきまで信じていた事、当たり前だった価値観が瞬時に水の泡となって消え失せてしまった信じられない現実。その喪失感・絶望感は、現代の感覚では計り知れないだろう。

確かに終戦によって世の中が明るく開けたのかも知れない。しかし、そう簡単に割り切り、切り替えられるものでもないだろう。生徒たちに教科書への墨入れ作業を指導する駒子先生は言う「こうして墨を塗った日の事、君たち、大人になっても覚えていてね」。そこには、一言では言い表せない色々な想いが込められているのだろう。但し、戦争するからには勝たなければならないと主張している訳ではない。このような作業をしないで済む世の中を作って行かなければならないという事を未来を担う子供たちに何より伝えたかったのだろう。

戦争が大きなテーマとなる本作が突き付けているのは、昭和20年の夏の日を境に天地が逆転したかのように多くが裏返しになってしまった紛れもない事実であり現実である。それは直接的に生命の尊さを謳った反戦趣向とは少し違う気がする。だがしかし、本作が突き付けた事実と現実は、戦争が生み落とした恐ろしさに変わりなく、二度と繰り返してはいけない悲惨な教訓に違いないのである。

本作には掲げたテーマがもう1つがある。それは人間の生命力である。戦争によって二度とは繰り返したくないと思える程の最悪な状況を迎えたのが事実ならば、その状況を克服し立ち直ったのも歴とした事実なのである。

もちろん最悪な状況を迎えない為に、すべき事を疎かにしないのが大前提ではある。ただ、人間には大きな困難を乗り越える、あるいは跳ね返せる強い生命力が備わっている事も忘れてはならないだろう。戦後復興の第一歩が描かれている本作。紆余曲折しながらも、たくましく生きる登場人物の姿を見ていると、そんな思いが呼び起こされる。

原作は阿久悠、監督が篠田正浩。キャストも夏目雅子、郷ひろみ、岩下志麻、大滝秀治、伊丹十三等、豪華なメンバーが顔を揃えている点は本作の大きな目玉である。しかし、そんな名立たる人材だけでは終わらないのも本作である。作品の半分を占める子供の物語を形成する子役たちの演技も素晴らしく、本作の宝であると言えるだろう。

山内圭哉が子供側の物語の主人公の竜太の細やかな心情を適格に表現し、佐倉しおりも可憐で悲しきヒロインを好演している。そんな中でも出色なのは三郎を演じる大森嘉之である。彼の大人顔負けの堂々たる演技は、大人と子供の物語を繋ぎ合わせる役目を果たす本作の要であると言って良いだろう。

もちろん、大人の俳優たちもしっかりと存在感を示している。大滝秀治の懐が深く大人の優しさと温かみを実感させる演技や、細かな技巧を用いて味のある紳士を作り上げた伊丹十三の演技には唸らされるし、あえて、しなびた色気を醸し出す岩下志麻も良い。また、端役で登場する若き日の三上博史の姿を見つけるのも面白いだろう。

本作は夏目雅子の遺作となった作品である。彼女が演じた駒子先生は役柄の設定だけを追えば、それ程際立つようなキャラクターだとは言えないのかも知れない。しかし、彼女が演じる事により芯の強さが与えられ、二十四の瞳の大石先生を彷彿とさせるようなキャラクターに仕上がったのではないかと思う。

そして本作は渡辺謙の映画デビューとなる作品でもある。デビュー作にして大抜擢だと言うべき、かなりの大役を任されているのだが、彼はその期待に十分に答える演技をしていると言えるだろう。

奇しくも同じ病に侵された二人。こういった言い方は良くないのかも知れないが、あまり年齢が離れていない二人の、片やデビュー作で片や遺作となった本作は、どこか因縁めいたものを感じさせる。

床の間に飾りたくなるような至高の台詞が随所に登場するのも本作の特長ではないかと思う。心に染み入るヒット作を数多く作り出してきた作詞家が原作の物語に相応しい魂の込められた言葉の数々には感心しきり。しかも仰々しく掲げるのではなく、さりげなく作中に馴染ませている事が素晴らしい。このようなセンスは最近では見当たらないような気がする。


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