自分勝手な映画批評
ソラニン ソラニン
2010 日本 126分
監督/三木孝浩
出演/宮崎あおい 高良健吾 桐谷健太 近藤洋一 伊藤歩
アパートの自室で朝、芽衣子(宮崎あおい)が目覚めると、同棲相手の種田(高良健吾)がアルバイトを終えて帰宅した。その日の朝食当番は種田なのだが、そのままソファーで寝始めてしまった。

あの頃の空は、何だかすっごく広かったんだ

原作は浅野いにおの漫画。生きる道に悩む若者たちの姿を描いた作品。

人生の分岐点は誰にでも訪れる。ただ、分岐点に出会しても迷いなく道を選び、歩調を緩める事なく進んで行く人はいるのかも知れない。しかし、立ち止まって悩んでしまう人もいるだろう。そして中には、選んだ道を引き返し、分岐点に戻って改めて違う道に進む人もいるだろう。

大学を卒業して2年目、OLをしている芽衣子は釈然としない毎日を過ごしていた。その心境は、芽衣子の学生時代からの恋人で一緒に暮らしている種田も同じ。種田は雑誌の下請けでイラストを描くバイトをしているのだが、学生時代に熱中していた音楽の夢を燻らせていた。現状を打破したいと常々思っていた芽衣子は、ある日、会社を辞めた。そして種田に自分の夢を追うようにと促すのだった。

人生にもカーナビゲーションのような人生ナビゲーションみたいなものがあれば道に迷う事なく目的地へと到達出来るのかも知れない。いや、人生ナビゲーションはあるのだろう。カーナビゲーションほど正確ではないが、おそらく人生ナビゲーションは存在する。但し、多くは目的地を設定する事は出来ないのだろう。安心な道を教えてくれるのが人生ナビゲーションの役割なのではないかと思う。そして多くの人が、その機能を利用しているのだと思う。

人生は辛く険しい。そう感じている人もいるのではないかと思う。何故、辛く険しいのか? それは思い通りの人生を送れていないからなのだろう。世界は自分中心に回っている訳ではないので、思い通りにならないのは当然と言えば当然。しかし、少しでも思い通りの生き方に近づけようと行動していないのならば、思い通りの人生にならないのも当然である。

「学生気分が抜けない」なんてフレーズは決して良い意味では用いられないだろう。もちろん、いい大人が無責任な行動をとったのならば、そのようなフレーズで叱責されても仕方ない。しかし、世間一般の概念から掛け離れている夢を追う姿に対して、そのようなフレーズで揶揄されるのであれば、それは見当違いだと心に収めても良いだろう。但し、夢を追うには相当の覚悟が必要な事を忘れてはならない。そして残念ながら、努力が必ずしも思った通りの結果に結び付かない事も肝に命じておかなければならない。

あきらめない事は生きる上で大切な信条だ。ただ、場合によっては、あきらめてしまった方が賢い事もあるだろう。だがしかし、例え多少のロスがあったとしても、最後までやり遂げた方が満足感は得られるのではないかと思う。

多かれ少なかれ誰もが経験するような事をテーマとして掲げた本作は、共感出来る要素が詰まっている作品だと思う。ただ、意地悪く裏返せば、斬新さには欠けているだろう。それは普遍で大切なテーマであるが故の落とし穴だと言えるだろう。但し、その辺りのマンネリへの傾向は、ストーリー展開を含めた演出と俳優たちの演技で解消している。

さすがの演技力で宮崎あおいが主人公の芽衣子を等身大の人物に仕立てる。その都度、年齢に見合った役柄、今の年齢でしか出来ない役柄というのがあると思うのだが、まさに本作の宮崎あおいと芽衣子には、そのような関係性が当てはまるような刹那なベストマッチを感じさせる。20歳代前半の瑞々しさと鬱蒼とした心情が宮崎あおいというフィルターを通してダイレクトに伝わってくる。

他にも、ナイーブで母性に訴えかけるような高良健吾、がさつだが純真な桐谷健太、フェミニンな包容力を感じさせる伊藤歩と俳優陣は総じて素晴らしく、非の打ち所がない。中でも出色なのは近藤洋一だ。ロックバンド、サンボマスターのベーシストであり、本職の俳優ではない近藤洋一であるが、その存在感と演技力には目を見張るものがあり、本作のクオリティーに多大な貢献をしている。

そんな近藤洋一と桐谷健太が中心となって所々に挿入されるユーモアは本作の良いアクセントになっている。本作の芯を見極めればジメジメとした物語であると言えるだろう。しかし、そういった作風一辺倒にしなかったのは良い舵取りだと思うし、具現化したセンスは優秀だと思う。だからこそホロ苦さが上手い具合に効いた青春作品になっているのだと思う。


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