自分勝手な映画批評
ロッキー ロッキー
1976 アメリカ 119分
監督/ジョン・G・アヴィルドセン
出演/シルベスター・スタローン タリア・シャイア バート・ヤング
1975年11月25日、フィラデルフィアの薄暗い、小さな会場でボクシングの試合をするロッキー(シルベスター・スタローン)。締まりのない試合を進めるロッキーだったが、対戦相手スパイダーから頭突きの反則攻撃を受けて闘志に火がつき、一気にスパイダーを叩きのめしてKO勝ちを収めた。

聞いていい? なんで戦うの?

場末のボクサーが世界チャンピオンに挑戦する姿を描いた作品。

今更説明不要、言わずも知れた不朽の名作である。と同時に、シルベスター・スタローンがブレイクした作品でもある。何でも本作は、スタローン自ら企画を持ち込んだ作品であり、製作会社の意向に反して自らの主演も勝ち取った作品らしい。





ロッキーはキャリアはあるのだが、大した戦績を残せていない三流ボクサー。ボクシングだけでは生活出来ないので借金取りの仕事もしていた。ロッキーはペットショップに勤める女性で、ロッキーの親友ポーリーの妹エイドリアンに恋をしていた。しかし、ロッキーの不器用さとエイドリアンの内気さが相まって、思うように進展していなかった。ロッキーはKO勝ちした試合の翌日、所属するミッキー・ボクシングジムに顔を出すのだが、自分のロッカーが誰かに使われていた。その指示を出したのはオーナーのミッキー本人。ミッキーは自堕落なロッキーに愛想を尽かしたのだった。一方、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのアポロ・クリードは、自らのタイトル防衛戦をアメリカ合衆国建国200年の記念試合として大々的に行なう予定をしていた。しかし、その試合に問題が生じてしまった。アポロの対戦相手が左手の拳骨を骨折した為に、試合に出場するのが不可能になってしまったのだ。試合まで5週間しかなく、新たな対戦相手は見つからない。しかし、試合のキャンセルは出来ない。そこでアポロは、アメリカはチャンスの国なので、無名の選手に挑戦権を与えようと提案するのだった。





アメリカンドリーム、シンデレラボーイストーリーの象徴、あるいは教科書のような本作。その有り様は多くの少年少女たちに大きな夢と感動をもたらす事だろう。但し、子供向けの作品という訳ではない。主人公のロッキーは30歳。つまり本作で描かれているチャレンジは再スタートであり、その姿は大人にも勇気を与える事となるだろう。

やはり最大の見どころは、薄暗いどん底から、光の眩いひのき舞台へと向かうメインのストーリーであるだろう。そういった姿は見ていて気持ちが良いものだ。特に、それが濃密に凝縮されている、おそらく本作以上に有名なビル・コンティのスコアによる「Gonna Fly Now(ロッキーのテーマ)」に乗せたトレーニング風景は高揚を覚え、自然と活力が湧いてくる。

ただ、見どころは、そこばかりではない。注目したいのは、登場人物のキャラクターや人間関係を実に緻密に練り上げ、繊細なタッチで描き出している点だ。それは柱となるメインのストーリーがなくても、人情劇として十二分に通用すると思える程である。

例えば、ロッキーがチャンピオンとの対戦をオファーされた時の咄嗟の反応や、ロッキーを取り立て人として雇っている悪徳な金貸しが、ロッキーがチャンピオンに挑戦すると知った後の心遣い等、さりげなくも実にリアルな人間味が数多くの場面で多角的に描かれている。

この微妙な人間味を適格に表現した、とても細やかな脚本がスタローンの手によるものだというので恐れ入った。失礼ながら、マッチョなスタローンは脳みそまでも筋肉で出来ているのかと思っていたが、私の大きな思い違いのようだ。本作ではスタローンのシナリオライターとしての優れた才能も強く実感出来る。そして、その優れた脚本を立体化するジョン・G・アヴィルドセンの演出も非常に素晴らしい。

あまりにも有名な作品である為に、却って敬遠する人もいるのかも知れない。また、暑苦しいスポーツものとして毛嫌いする人もいるのかも知れない。しかし、あらゆる雑音を吹き飛ばす強大なパワーが備わった傑作であると私は確信する。細やかで豊かな人物造形に支えられた、力強く、感動的なサクセスストーリーは、今後も色褪せる事はなく、後世に渡って燦然と輝き続ける事だろう。

第49回アカデミー賞、作品賞、監督賞、編集賞受賞作品。


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