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愛は常に気まぐれである モンキー・パンチ原作の漫画及びアニメーション作品の実写版。 作品タイトルに含まれる念力の文字からサイキックでオカルティックな内容を思い浮かべそうになるのだが、決してそういった作品ではない。但し、念力という言葉は劇中に何度か登場する。あくまでも想像ではあるのだが、念力という言葉はユリ・ゲラーに代表されるような当時の超能力ブームが背景にある、当時のある種の流行語だったのではないかと考えられる。 怪盗アルセーヌ・ルパンの跡を継いだ息子のルパン二世は組織作りの天才であった。彼は、瞬く間に全世界の暗黒組織を配下に治め、ルパン帝国を築き上げた。しかし、配下の一人に裏切られたのをきっかけに、マカローニ一家によってルパン帝国は一気に叩き潰されてしまった。ルパン帝国の配下で一人だけ生き延びた次元大介は、ルパン帝国の再建を願い、ルパンの末裔、ルパン三世が日本にいる事を知り訪ねるのだが、気ままな風来坊のルパン三世は何処吹く風で聞く耳を持たない。しかしルパン三世は、ひと目惚れした峰不二子の望み、貿易会館で行われている世界の宝石展の時価約56億の宝石の強奪の望みは聞き入れるのだった。 キテレツでキワモノ。そんな印象を多くの人が持つ作品ではないかと思う。そう感じさせるのには本作が国民的な人気を誇るアニメーション、ルパン三世の実写版である事が大きく影響しているだろう。すでに広く深く定着してしまった確固たるイメージの払拭が容易でないのは言うまでもない。但し、あくまでも想像に基づいた持論ではあるのだが、本作の作風に至る経緯は、アニメーションのルパン三世の人気の成り立ち、本作が製作された時期を考慮しなければならないのだと思う。 アニメーションのルパン三世が最初から人気があった訳ではない。1971年に放映を開始した最初のテレビシリーズは人気が出ずに半年間で打ち切りになってしまっている。しかし、このシリーズは夕方に再放送されると人気が高まり評価される事となる。それを受けて1977年に装いも新たに赤いジャケットを着てルパン三世が活躍するセカンドシリーズ、ルパン三世の現在までの人気を決定づけるようなセカンドシリーズが新たに製作される運びとなったのである。 そういった経緯と照らし合わせると、まだ本作の公開時(1974年)にはルパン三世は国民的な人気作品だとは言えなかったのではないかと思う。現在、ルパン三世を実写にするとすれば、それなりの覚悟とそれなりのリスクを必要とするだろう。だが、まだまだ国民的な人気作品とは言えなかった、もしかしたら一部のマニアにしか受け入れられていなかった作品だったのかも知れない本作製作当時では、語弊のある言い方かも知れないが、製作する心持ちのハードルはそれ程高くなかったのかも知れない。 そう考えると、本作の作風にはある程度の合点がつく。本作製作当時にはまだイメージが浸透していなかったとすれば、イメージに固執する必要もなく、創造する自由度も大いにあったであろう。だとすれば、アニメーションだけでなく大本の漫画を含めたオリジナルをトレースするのではなくモチーフ程度として扱ったとしても、その姿勢は十分に理解は出来る。 ルパン三世をモチーフにしたような作品は幾つもある。確かに本作はルパン三世の名前は使用している。だが、製作当時の趣旨は別にして現代の感覚では、トレードマークであるモミアゲがなく、赤もしくは緑のジャケットを着用しないルパン三世を登場させている本作は、その類いだと解釈した方が良い作品、あるいは既存のルパン三世とは少し距離を置いて観賞するのがベターな作品だと言えるのかも知れない。 オリジナルに忠実とは言えない本作。但し、オリジナルを尊重している面もある。それはコメディー要素だ。本作は、尊重どころかオリジナル以上にコメディー色を前面に出しており、ギャグ満載。しかし、笑いの成功率は必ずしも高いとは言えないのかも知れない。だが、実にアイデアは豊富であり、独創的でユニークな作品世界が構築されているのは間違いない。 後の大御所たちの若かりし頃の演技も見ものだ。目黒祐樹の甘いムードは育ちの良さ、今で言うところのセレブなプレイボーイ感を漂わせ、巡り巡って既存のルパン三世のイメージに重なり合う。今となっては重宝したくなる田中邦衛、伊東四朗のコメディアン振りも見どころだ。そしてスタイルの良い江崎英子の美しさが作品を華やかに彩る。彼女の艶やか魅力は現代でも朽ちる事なく眩しく映る。 他にも思いもよらないキャストが多数登場している点も面白い。 |
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