自分勝手な映画批評
ゲンスブールと女たち ゲンスブールと女たち
2010 フランス/アメリカ 130分
監督/ジョアン・スファール
出演/エリック・エルモスニーノ ルーシー・ゴードン レティシア・カスタ
浜辺でゲンスブール少年は隣にいる女の子に「手を握っていい?」と問いかける。しかし女の子は「醜い子はイヤ」と言って拒否し、立ち去ってしまう。ゲンスブール少年はタバコを吹かしながら去り行く女の子を見送った。

心に響く詩を聞かせて

セルジュ・ゲンスブールの生涯を描いた作品。

名前は知ってる。顔も分かる。「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を聞けば思い浮かぶ人だ。その程度が私のセルジュ・ゲンスブールに関する知識だ。

ゲンスブールのファン、あるいはファンでなくても良く知っている人には本作がどう映るのか分からない。ただ、ゲンスブールの知識が乏しい私にとっては入門編という意味も含んで非常に有意義な作品であった。

本作はゲンスブールの少年時代から晩年までを網羅している。その意味では実在の人物の人生を描いた伝記モノの原理に則っている。しかし、一般的な伝記モノと比べると少しユニークだと感じる作品ではないかと思う。

通常の伝記モノの場合、脚色や誇張はあるにせよリアリズムを遵守している。だが、本作にはゲンスブールの分身と言うべきマンガチックなキャラクターが登場する。それはリアリズムから決定的に反している。つまり本作は、伝記モノでありつつも現実離れしたファンタジーな一面も兼ね備えている作品なのである。

しかし、その事を問題にすべきではないだろう。ファンタジーな一面は、常人とは違う天才アーチストの頭の中、あるいは心の中と考えれば納得出来るだろうし、また、フランスの作品らしいエスプリだと解釈して楽しむ事も出来るだろう。

また、ゲンスブールの女性遍歴がストーリーを手繰り寄せているのもユニークであるだろう。数々の浮き名を流したゲンスブールなので数多くの女性関係が描かれるのは必然ではあるのだが、それでも女性遍歴を通じてゲンスブールの人生を語らせるのは、いささか他力本願のようにも感じる。

但し、この試みは成功している。色気のある華やかな躍動感を呼び起こすストーリー構成のアイデア、その実現力は実に見事である。

女性遍歴が主体となっているので作品のムードは断然グラマラスである。それが本作最大の特色だと言えるだう。ジェーン・バーキン、ブリジット・バルドー等、実在するビッグネームとの情事は下世話な好奇心も加味され、セクシーに感情に訴える。しかも、演じる女優陣がモデル出身を集めたようなので視覚的にも申し分ない。

ただ、最もセクシーなのはゲンスブールだ。本作で見るゲンスブールは、ある意味でジョン・レノン、ミック・ジャガー顔負けのロックスターだ。ジタンの紫煙を無造作にくゆらせながら、本能のままに女に創作にと情熱を傾ける姿は自堕落な男の美学を感じさせる。

スキャンダラスでグラマラスな面に心を奪われがちな本作だが、一人の男の伝記モノという使命は疎かにしていない。ちょっと頼りなさげで気弱にも思える青年が、図太い男へと変貌して行く様は大きな見応えを感じる。

これはゲンスブールを演じるエリック・エルモスニーノの功績に間違いない。容姿が似ている点もさる事ながら、年齢の経過と人格の移り変わりを確実に演じる技量は素晴らしいの一言に尽きる。

思い起こせば、私がゲンスブールの存在を意識したのは「渋谷系」と呼ばれるムーブメントがきっかけだったと思う。

ムーブメントが起こると、そのムーブメントがインスパイアされた昔の人・物・事の良さが再発見される事が多々あるが、その一環としてゲンスブールもフィーチャーされていたように思う。但し、残念ながら私は、その時点ではゲンスブールにピンとこなかった。なので深く知ろうとはしなかった。

「渋谷系」のムーブメントからは随分と経つ。ゲンスブールが亡くなってからも随分と経つ。だから「今さら」なんて言われてしまいそうなのだが、ゲンスブールの作品に触れてみたいという欲求が本作に出会って芽生えてきた。


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