自分勝手な映画批評
カウボーイビバップ 天国の扉 カウボーイビバップ 天国の扉
2001 日本 114分
監督/渡辺信一郎
声の出演/山寺宏一 石塚運昇 林原めぐみ 多田葵 磯部勉 小林愛
コンビニに強盗団が押し入り、強盗団のリーダー・レンジィ(石橋蓮司)が店員に向かって説教をしていた。その最中にヘッドフォンをしたスパイク(山寺宏一)が店内に入った。

俺はただ、お前に借りを返しに来ただけさ

近未来を舞台に、賞金稼ぎ(カウボーイ)を生業とする者たちのハードボイルドな生きざまを描いたアニメ作品。

私はアニメに対して偏見はないつもりである。だが実際には、それ程多くのアニメには触れてはいない。正確に言えば、進んでアニメを見たいとまでは思っていない。そんな中で、偶然にもテレビアニメ作品「カウボーイビバップ」に出会えた事は幸運だったと思う。本作はテレビアニメ作品「カウボーイビバップ」の映画版である。





人類が地球以外の場所でも活動出来るようになって久しい2071年。元はマフィア組織レッドドラゴンに属していたスパイクと元I.S.S.Pの刑事だったジェット、そして出所不明の謎の女フェイの3人の賞金稼ぎ(カウボーイ)と天才ハッカーの少女エド、犬のアインは一緒に賞金首を求めて宇宙船ビバップ号で旅をしていた。ハロウィンを目前にした火星で、賞金首のハッカー、リー・サムソンを単独で追っていたフェイは、リーが運転するタンクローリーを高速道路で見つけて追尾する。だが、高速道路上で停車したタンクローリーから降りてきた男はリーとは別人であった。男が降りてすぐさまタンクローリーは爆発し炎上。男は姿を消してしまった。これは単なる事故ではなかった。タンクローリーが積んでいた物質が原因で死傷者500人以上を出す大惨事であり、正体不明のバイオ兵器を用いたテロだったのだ。この事件を受け、火星政府は犯人に3億ウーロンという破格の懸賞金をかける事を発表。これをテレビで見たビバップ号のクルーたちは、フェイ単独ではなく、協力して犯人を追う事にした。





本サイトの趣旨からは幾分逸脱するのだが、まずは本作ではなく「カウボーイビバップ」自体について述べたいと思う。

意地悪く言えば「カウボーイビバップ」は裏側が透けて見えるような作品である。設定や作風は「ルパン三世」、特にファーストシリーズの影響を強く感じるし、主人公スパイクの細身・長身・モジャモジャ頭は松田優作をイメージしているのだろうと想像出来る。そして、スパイクがジークンドーの使い手である事は、ブルース・リーの要素を持ち込みたかったのではないかと勘ぐりたくなる。他にも心当たりがある節が見つかるのではないかと思う。

制作者の嗜好、更には世代や歩んできた道さえも判明していまいそうな安易だと思える作品の設定。ただ、それも魅力であるだろう。このような有り様は、音楽でいうところのサンプリングのようなものだと解釈して良いのではないかと思う。元ネタが見え隠れする遊び心は作品内容とは違った角度から心をくすぐり、喜びをもたらすのではないかと思う。

もっとも、このような楽しみ方を味わわせる為には本編がしっかりしていなければならない。元ネタを感じて楽しむ事はメインではなく、あくまでもスパイス的な要素。言い換えれば「カウボーイビバップ」はスパイスを楽しめる程、メインがしっかりしていると言えるだろう。

但し、このメインが変わり種だと私には感じるのだ。これは私の個人的な見解なのだが、「カウボーイビバップ」で描かれている事柄は登場人物たちの壮大なアナザーストーリーなのではないかと思うのである。

人生にアナザーストーリーがあるなどと定義するのは馬鹿げた話なのかも知れない。ただ、人生において輝いた、あるいは充実した日々がある事は理解してもらえるのではないかと思う。「カウボーイビバップ」は、そういった日々ではなく後の日々、もっと言えば余生を描いているように感じるのだ。

フォーカスされているのは現在。しかし登場人物たちにとって重要で大切なのはフォーカスされていない過去。つまりメインであるべきストーリーをメインとして扱っていないのが「カウボーイビバップ」なのだ。このズレが独特のオフビート感を生み、更には作品の特色である脱力したアンニュイなムードを醸し出しているのではないかと思う。

もちろん過去を抱えた人物を描いた作品は幾らでもある。ただ、それらの多くが過去を引きずり、その延長戦上で物語を展開させているのに対し、「カウボーイビバップ」は過去とは明らかに一線を引いている。過去には自分なりに一応のピリオドは打っているのである。だからと言って過去を抹殺している訳ではない。確実に過去は重く背負っている。但し、その過去に同情は求めてはいない。だから多くは語らない。

つまり物語を紡ぎ出しているのは、他人も現世も寄せつけない寂しく思える程に自立した者たちなのである。だが所詮、彼らも人間である。背負い込んだ過去もすべて清算出来ている訳ではない。だから苦味の強いペーソスが滲み出てくる。その味わいがたまらなく深い。付け加えるなら、そんな生きざまの隙間から零れ落ちるユーモアが、これまた実に美味である。

実に大人びたドラマである。このような様相はアニメのみならず実写でもあまり類を見ないのではないかと思う。ただ逆にアニメだから成立したのではないかと感じるところでもある。このような様相を実写で表現する場合、ヘタすれば虚しい絵空事で終わってしまう事もあるのだが、そもそもが絵空事であるアニメというフィルターを通している事でしっくりときているように感じる面が強い。無論、この取り組みが見事なまでに結実したのは制作者のセンスに因るところが大きい。

さて、ここからが本題、本作についてである。本作のようなテレビアニメ、あるいはドラマの映画版というのは当然ながらテレビシリーズありきで製作されている。なのでテレビシリーズを見ていないと理解出来ない作品は往々にしてあるだろう。だが「カウボーイビバップ」は、ほぼ1話完結のテレビシリーズであり、それに準じて新たなストーリーが展開される本作では、そのような心配は極力抑えられていると言えるだろう。

もちろん、テレビシリーズを見ていた方が本作を堪能出来るのは間違いない。しかし、本作はテレビシリーズを見ていない人でも存分に楽しめる理解度と完成度を誇る作品だと思う。逆にテレビシリーズを知らない人は、本作をきっかけに是非ともテレビシリーズにもチャレンジして頂きたいと思う。

本作がユニークなのはテレビシリーズの後日談ではなく、テレビシリーズの途中に食い込まれるストーリーである点だ。本作は全26話のテレビシリーズの中の22話と23話の間に位置するストーリーらしい。但し、前後に特に関連性はなく、先に述べたとおり独立したストーリーである。

映画にするくらいなので本作のストーリーはテレビシリーズのストーリーよりもスケールは大きい。ただ、テレビシリーズの中にもスケールは大きいストーリーは存在しており、それに対して本作のストーリーに2時間もの尺を必要するのには少なからず疑問を感じる。

だからと言って間延びしている訳ではない。本作はテレビシリーズよりも詳細を丹念に描く事で長尺を埋めている。ただ、粋で洒落たムードが「カウボーイビバップ」の大きな魅力。その魅力というのは、無駄を削ぎ落とした、あるいは必要以上に多くを語らず余韻や余白を有効に活用したから成り立っているのである。そういう意味では本作は余分が多く、テレビシリーズが持っていた魅力を損ねてしまっていると言えるのかも知れない。

だが、その余分を蛇足とするのではなく、作品世界を深く理解する上で必要な事項と解釈すれば実に有意義であるだろう。そして何より、テレビシリーズよりも目に見えて向上が分かる描写のクオリティー、それを基準にして、テレビシリーズとは少し違った味付けにはなるのだが、スタイリッシュな映像と演出は一見の価値があると思う。

話は戻って、また「カウボーイビバップ」全般についてになってしまうのだが、「カウボーイビバップ」の魅力を語る上で欠かせないのは音楽である。ジャズの用語である「ビバップ」を作品タイトルに入れている事からして音楽にも力を入れている姿勢は明白であるだろう。但し、繰り出される楽曲は必ずしもジャズに限った訳ではなくバラエティーに富んでいる。それら菅野よう子のスコアによる楽曲はどれもハイレベルであり作品のムード作りに多大なる貢献をしている。

中でも出色なのは、残念ながら本作には登場しないのだが、オープニングテーマの「Tank!」だ。けたたましいホーンの叫びから始まリファンキーに疾走するこの楽曲は「カウボーイビバップ」のみならず他の機会でも多く耳にするところであり、「007」「ルパン三世」「ミッション:インポッシブル(スパイ大作戦)」等のテーマと並べても何ひとつ見劣りする事のない「カウボーイビバップ」の宝である。

忘れてはならないのは声優陣の活躍である。彼らがいなければ「カウボーイビバップ」は凡庸かそれ以下の作品で終わってしまっていた可能性は大いにあっただろう。難しいコンセプトを見事に体現し、更なる魅力を加味させた名優たちに最大級の賛辞を贈りたい。


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