自分勝手な映画批評
必死の逃亡者 必死の逃亡者
1955 アメリカ 112分
監督/ウィリアム・ワイラー
出演/ハンフリー・ボガート フレドリック・マーチ ロバート・ミドルトン
インディアナポリスのヒリアード家の朝の食卓は穏やかとは言い難く、子供たちは父親(フレドリック・マーチ)に対して少しばかり反抗的な態度をとり、波風が立っていた

出て行け、ここは私の家だ

原作はジョセフ・ヘイズの小説「The Desperate Hours」。刑務所を脱獄した囚人3人が民家に立てこもり巻き起こす騒動を描いた作品。

脱獄犯のリーダー的な存在である主人公のグレンを演じるのはハンフリー・ボガート。ボガートといえばマルタの鷹カサブランカ等で演じたハードボイルドでダンディな男のイメージが定着していると思うのだが、本作ではそのイメージとは程遠い冷酷無情な男を演じている。その事が、まず本作の大きなポイントではないかと思う。

連邦刑務所からグレンとハルのグリフィン兄弟と巨漢のコービッシュが看守を殴り倒して脱獄した。彼らは銃と車を奪って逃走。グレンは4年前の逮捕時にアゴを砕かれた保安官補のジェス・バードに怨みを持っていた。そのバードがいるインディアナポリスにやって来た彼らは子供の自転車が庭先にある家を見つける。子供がいる家庭は危険を冒さないと踏んだ彼らは、道に迷ったフリをしてその家、ヒリアード家に押し入った。

本作の見どころは作品全体を包み込む緊張感であり緊迫感であるだろう。脱獄した凶悪犯が自分の家に立てこもってしまうなんて味わいたくない状況だ。ただ同時に、多くの人は味わった事のない状況であるだろう。経験がないので想像でしかないのだが、この味わいたくない非常事態の雰囲気が本作では実に上手く表現されていると思う。

脱獄犯の神経が一般の感覚からは乖離されて描かれている点は凡庸だと言えるのかも知れない。ただ、特筆したいのは押し入られた民家の家族の心理であり行動である。押し入られた家族は団結しているとは言い難い。もちろん、それぞれがこの危機を脱出しようとはしている。しかし、皆で知恵を出し合っているのではなく、それぞれが突発的に後先を深く考えずに今を抜け出そうと試みているのである。

身勝手とは言い過ぎだろうが、計画性のない感情任せの彼らの行動は危なっかしく、第三者的な立場で見ればもっと上手く出来るように感じる。その為、イライラもする。くり返しになるが、こんな状況を経験していないので彼らの心理や行動がリアルなのかは分からない。ただ、こういった心理や行動になってしまう可能性もあるだろうとは想像出来る。そして、このドタバタから生み出される緊張感と緊迫感はリアリティーに値するだろう。

この家族は、ひっ迫した大きな問題を抱えている訳ではない。しかし些細な問題は抱えている。それには多くの家族が共感出来るのではないかと思う。そんな時に遭遇する非常事態。そこで試される家族の絆、家長の存在感。本作は家族の物語だという捉え方も出来るだろう。

本作は35年後に逃亡者のタイトルでリメイクされている。モラルが低下した世情の描写に時の流れを感じるのだが、それでもコンセプトが基本的には忠実に継承されているのは興味深い。本作というターゲットがあるにせよ、キャラクターにナルシシズムを持ち込みサイコな悪魔にまで発展させたミッキー・ロークが良い。


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