自分勝手な映画批評
ベロニカは死ぬことにした ベロニカは死ぬことにした
2005 日本 107分
監督/堀江慶
出演/真木よう子 イ・ワン 風吹ジュン 中嶋朋子
図書館に勤めるトワ(真木よう子)は賑やかな酒の席の後、一人、ホテルの部屋に戻り、大量の睡眠薬を飲み、自分への手紙を書き、それを瓶に詰めて、ベランダから放り投げた。

大切なのは、自分自身を受け入れること

精神病院に収容された女性を描いた作品。原作はパウロ・コエーリョの小説。

演出や演技の過剰さが目立つようにも感じられるのだが、その事が却って登場人物たちの個を鮮明にさせているように思う。

真木よう子演じる主人公のトワは、自殺未遂を起こして精神病院に収容される。死ねなかった後悔も然る事ながら、何故、収容された先が精神病院なのか?という疑問も彼女には生じる。自ら命を絶つ事を選択した時点で、彼女は自分自身の個を強烈に意識していただろうが、自分と他の患者との違いからも、自然と個を意識する事になるだろう。

トワは他の患者の身の上話を聞く事により、患者の個を知る事になる。但し、それは自分自身の個をさらに強く、同時に違った角度で意識する作用として跳ね返ってくる。

自分がいとも容易く出来る事が、他人が出来るとは限らない。それは逆の立場にも当てはまる事になるだろう。だから、自分の痛みを他人が理解出来なくても当然なのかも知れない。だが、いくら理解されないからといっても、どうにも抑圧も抹殺も出来ない感情の残された行き場は、解放でしかないのだろう。

以前、面白い話を耳にした事がある。高所恐怖症の人が、高所に行かざるを得なくなった状況を迎えた場合、自分と同じ高所恐怖症の人を見つけ、その動揺する姿を見て、自分を安心させるという話だ。ちょっと性根の悪い話のようにも思えるのだが、少なからず、それもひとつの正解なのではないかと思う。

自分を解放するのは容易ではないのかも知れない。しかし、本質や境遇が異なるとしても、結果として自分と同じように苦しんでいる、言い換えれば、苦しみを自分と共有している人を目の当たりにしたのならば、自分だけではないと少しは肩の力が抜け、気が楽になり、一歩踏み出す勇気が芽生えるものなのかも知れない。そして、その共感によって友情が結ばれたのならば、それは力強い財産であるように思う。

存在感のあるベテランが多い中、主役を張る真木よう子が良い。彼女の落ち着いた雰囲気は、女性的な魅力を感じさせるだけではなく、表現を物語にしっくりと馴染ませる効果も兼ね備えているように感じる。その辺りに女優としての天賦の才能を感じさせる。


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