自分勝手な映画批評
ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男 ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男
2005 イギリス 103分
監督/スティーヴン・ウーリー
出演/レオ・グレゴリー パディ・コンシダイン デヴィッド・モリッシー
1963年、イギリス・チェルシー。ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ(レオ・グレゴリー)は公衆電話から連絡を入れ、キャンセルになったバンドの替わりの出演を取り付ける。

転がり過ぎた石

ローリング・ストーンズのギタリストだったブライアン・ジョーンズの死の直前の3ケ月を、そこへと至る経緯を踏まえながら描いた作品。

偉大なるロックバンド、ローリング・ストーンズはスキャンダラスな歴史も数多く抱える。ドラッグ、女性関係、メンバーの不仲、コンサート中の殺人事件等々、大変不謹慎な言い方であるが、様々な話題を提供してきた。その中でも最大のスキャンダルは、すでに脱退していたとはいえ、メンバーであったブライアン・ジョーンズの死なのではないかと思う。

ある人達にとって本作は、グラマラスに感じるのかも知れない。だが、一般的には、異様で異常な世界だと感じるだろう。気の弱い若き専制君主の傍若無人ぶりは、人を遠ざけ、自分の居場所さえも失わせた。自らが招いた窮地なのだから、自業自得ではあるのだが、破滅の一途を辿る彼の生き方を、まじまじと見せつけられると、心苦しく、胸が痛む。

ブライアン・ジョーンズ亡き後、本人の証言なしで彼の人生を描く事は、公平性や信憑性に欠く可能性も大いにあるだろう。実際、彼の死には多くの謎が含まれており、もはや検証不可能なのが事実らしい。

そんな中、言い伝えられているのが、ブライアン・ジョーンズとミック・ジャガー、キース・リチャーズとのバンドの運営面での考え方の相違である。昔ながらのブルースにこだわったブライアンと、オリジナル曲で新しい境地を目指したミックとキース。結果的にミックとキースの路線は、後の繁栄へと続く成功を収め、両者の溝は深まってしまう。

但し、ブライアンがストーンズの礎を築いたのは間違いない。本作のオープニングはハウリン・ウルフのカバーである「リトル・レッド・ルースター」。この渋いカバー曲の中に、ストーンズのエッセンスが目一杯詰まっており、身震いする程、カッコ良く仕上がっている。フロントマンであるミックの独特なボーカルも印象的だが、サウンドの中心はブライアンのボトルネックギターが奏でる気怠い音色である。

確かにストーンズが羽ばたいたのは、ミックとキースの功績なのかも知れない。しかしストーンズを軌道に乗せたのはブライアンだと言って良いだろう。スタジアムライブの派手なストーンズも良いが、彼らの原点は暗闇に光るようなセンスなのではないかと思う。

転がる石の集団の中で、転がり過ぎてしまった石。若くして散ったブライアン・ジョーンズは無念であっただろうが、彼の才能を味わう事が出来なくなった我々も不幸なのかも知れない。


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