自分勝手な映画批評
アフロ田中 アフロ田中
2012 日本 114分
監督/松居大悟
出演/松田翔太 佐々木希 堤下敦 田中圭
幼い頃の田中は、生まれ持ったチリチリな髪の毛の所為でいじめられていた。そこで田中は、ある日ヘアースタイルをアフロにした。すると、いじめっ子たちは田中に怯え、嫌がらせを止めた。アフロにするという選択が、田中の人生を変えたのだ。だが、この頃が田中の人生の絶頂期だった。

夫婦は辛抱じゃなく希望

原作は、のりつけ雅春の漫画。アフロヘアーの冴えない若者を中心として繰り広げられる青春コメディー。

主人公のアフロヘアーな田中を演じる松田翔太は、御存じ松田優作の次男。そして、これまた周知のとおり、優作は若かりし頃、モジャモジャ頭がトレードマークであった。つまり本作では、優作の息子が優作のトレードマークを彷佛とさせるヘア−スタイルの役柄を演じているのである。

この巡り合わせは、普通ならセンチメンタルである筈だ。しかし、ここまで大きくヘア−スタイルを誇張されていてはセンチメンタルではなく、もはやパロディーである。パロディー的効果を意図していたのか私には分からない。ただ、もし意図していたのならば、本作の満載なギャグテイストの一丁目一番地であった事だろう。そして意図してなくても、結果として本作のギャグスピリットの象徴になっているのは間違いない。

怠惰な生活を送り続けていたアフロヘアーな高校生の田中は、ある日、教師から「このままだと留年だぞ」と言い渡されてしまう。「この際ハッキリしたらどうだ。まじめに通うか? 辞めるのか?」とまで言われる田中。実は田中には、高校を辞めるという考えは微塵もなかった。辞めたくないと思っていた訳ではない。辞めるという選択肢自体が田中にはなかったのだ。辞めるという新たな選択肢を教師から授かった田中は、迷う事なく高校を退学した。田中は退学の事を母親に報告する。すると激怒した母親から「だったら、これから毎月3万払ってもらうからね」と月々の生活費を要求されてしまう。3万円の生活費を払う事に疑問を感じた田中は、家賃を払うより得だと考え、15万円のプレハブを購入して自宅の庭に建て、そこで生活した。こうして田中は自由を手に入れた。しかし、それでは飽き足らず、もっと自由になりたくて上京、トンネル掘削の作業員として働き始めた。だが、何かがあると信じて上京したのだが、思っていたような生活は何もなかった。ある日、田中の一人暮らしのアパートに高校時代の友人の井上から結婚披露宴の招待状が届く。「とうとう井上も…」としみじみと感慨に浸る田中だったが、同時に「ヤバイ!」という感情も沸き立ってきた。実は田中は高校時代、仲間たちと誰かが結婚する時には、その時つき合っている彼女を連れて来ようと約束していたのだ。現在、田中には彼女がいない。というか、生まれてこの方、彼女がいた事がない。慌てた田中は、井上の結婚式の日から逆算した彼女作りの行程表を作成する。しかし、その行程表によれば、すでに現時点で間に合わない事になっている。そんな時、田中の部屋のドアを誰かがノックした。ドアを開けると加藤と名乗る可愛らしい女性が立っていた。加藤は田中の隣の部屋に引っ越して来て、挨拶に訪れたのだった。

とにかく楽しい作品だ。そこら中、ありとあらゆるところに笑いが満ち溢れている。その震源は松田演じる田中。シンボリックなのは極端なアフロヘアーなのだが、そればかりではなく、田中の一挙手一投足すべてが笑いに繋がっていると言っても過言ではない具合なのである。田中の、とぼけたキャラクター設定は抜群。そして具現化する松田も、これまた抜群である。

本作を観れば、松田が優秀なコメディアンである事を実感させられるだろう。無論、コントや漫才等、ネタを披露する、あるいはテレビのバラエティー番組で活躍する所謂お笑い芸人としてではない。俳優としてのコメディアン的要素である。

二枚目なルックスが多分に影響し、そのギャップが笑いを誘発している事だろう。だが、それだけが理由にならない天賦のコメディアンの才能が松田にはあると思う。それは他の俳優では太刀打ち出来ない、まさに唯一無二の領域であると感じる。愛らしいコメディアン松田の姿を目の当たりに出来るだけでも、本作を観る価値はあると思う。

他のキャストも実に良い。バラエティーに富んだキャストが全方位から松田の笑いに助太刀し、更なる面白さを生み出している。個人的には田中の仲間の1人の岡本を田中圭が演じる事で、田中圭の口から自分の本名である「田中」という名前が他人に向かって連呼されているのがツボだった。

笑いは本作の大きな特色だ。しかし、それはあくまでもストーリーの装飾。ストーリーの実体は青春の友情物語である。但し、海に叫び、夕日に向かって一緒に走るような汗臭い青春、友情ではない。もっとドライな印象のものである。それは、現代の個人主義に起因しているように感じる。

仲間とは共通点があるからこそ仲間である。本作での共通点は、やんちゃなバカ騒ぎだ。そんな時間は確かに楽しい。しかし、それだけの結び付きであるのならば、軽薄な結び付きでしかないだろう。

共通点の更に向こう側まで共有出来るのが真の友情ではないかと思う。とかく現代では、その場の空気を重んじる風潮にある。確かに空気も大切だろう。だが、空気を重んじているばかりでは、個々の人間性が抑圧されてしまい、いつまで経っても共通点の向こう側まで辿り着けないだろう。

ストーリーは途中で変調する。空気が壊れるのである。その後の友情の行方が、本作からのメッセージであるだろう。その真摯なメッセージは、バカげたコメディーで過剰に包装されて届けられる。でも実は、そうした方が、現代の感性にはリアルに届くのではないかと思う。

私は原作漫画は未読である。但し、本作を観る限りだけでも、いかにも男性青年誌的であるのは如実に伺える。そういった意味では、観る人を選ぶ作品なのかも知れない。しかし、それでも青春時代に築いた財産を思い出させる作用が備わっている作品ではないかと思う。

高校時代に教師から「学生時代の友人こそが一生の友人だ」と私は聞かされた。その意見が絶対でないのは知っている。ただ、本作を観て、その言葉を懐かしく思い出した。

監督は本作がデビュー作となる松居大悟。新人監督らしからぬ優れた手腕に驚かされるが、更に驚くのは松居が、まだ20歳代だという事だ。若くて有望な才能の今後の活躍が楽しみである。


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