自分勝手な映画批評
オール・ザ・キングスメン オール・ザ・キングスメン
2006 アメリカ 128分
監督/スティーヴン・ザイリアン
出演/ショーン・ペン ジュード・ロウ ケイト・ウィンスレット
ある夜、スターク(ショーン・ペン)は気が進まないジャック(ジュード・ロウ)を連れてアーウィン判事(アンソニー・ホプキンス)の家へと向かっていた。

蓋をかぶせれば見分けがつかなくなる

ある政治家の周辺で巻き起こる騒動を描いた作品。

原作は、ルイジアナ州知事、アメリカ合衆国上院議員を務めた実在した政治家ヒューイ・ロングをモデルにしたとされる、ピューリッツァー賞を受賞したロバート・ペン・ウォーレンの小説。

この小説を原作にした作品は、1949年にロバート・ロッセン監督で製作、公開されており(つまり本作はリメイク)、第22回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞(ブロデリック・クロフォード)、助演女優賞(マーセデス・マッケンブリッジ)を受賞している。

新聞、クロニクル紙で記者として働くジャックは、上司の指示でメーソン市の学校の校舎建設の入札についての不正疑惑を取材する。校舎建設工事を請け負ったのはA・J・ムーア社。しかし、最低額を入札したのはジェファーズ建設。メーソン市は選考基準は信頼出来る会社であり、必ずしも最低額の入札で選ぶ訳ではないので問題はないと主張する。だが、入札の差額3万3000ドルを郡政官で山分けしたという疑惑、また、白人貧農地帯という土地柄から黒人を雇っているジェファーズ建設を排除したという疑惑があった。その事を告発したのは郡の出納官で、ジャックが以前に会った事がある顔見知りのスタークという男。スタークは市民に市の汚職を訴えたのだが、市民が耳を傾ける事はなく、そればかりか、その騒動が影響してスタークの妻は教師の職を失い、スターク自身の出納官の再選も絶望的だった。だが、ジャックが取材した後、事態は急展開する。A・J・ムーア社の校舎建設工事は欠陥工事であり、児童3人が死亡する事故が発生してしまったのだ。スタークの訴えは、最悪のカタチであるが、結果的に認められた事になる。するとスタークの元にダフィという男が現れた。ダフィは、ジャックがスタークと以前会った時に一緒にいた人物。その時ダフィは、スタークを小バカにしていたのだが、今回は手の平を返すように持ち上げ、しかもスタークの元で働きたいと言い出した。ダフィはスタークに次期ルイジアナ州知事を決める選挙に立候補しないかと持ちかけるのだった。

他人を信頼出来る・出来ないとの判断は、案外と紙一重なものなのかも知れない。もちろん、絶対信頼出来る、逆に絶対信頼出来ない人格の人物はいるだろう。だが、実は多くの信頼は、曖昧な境界線で仕切られているようにも感じる。

というのも、人間、良い面と悪い面を併せ持っているからである。人間なのだから、そんな事は言うまでもなく当たり前。しかし片面ばかりが心に残り、良い面に共感するのならば悪い面に目をつぶり、悪い面に怒りが収まらないのならば良い面さえも憎く感じるものなのかも知れない。冷静に1つの人格の中の良い面と悪い面を分別出来れば良いのだが、中々そうはいかないのが感情がある人間の習性であるだろう。

だが、その辺りはしっかりと見極めなければならないだろう。特に信頼させようと躍起になっている人間は要注意。彼らは手を替え品を替え、是が非でも信頼を得ようとしている。

例えば就職の面接。もちろん、雇用する側が嫌がるような条件等、自身の事情を説明しなければならない場合も往々としてあるだろうが、基本的には面接官に気に入られようとするスタンスである筈。つまり、自分を良く見せようとアピールする筈なのである。時には誇張、中には嘘までついて自己顕示する人もいるのかも知れない。

このような有り様は、政治家の選挙活動にも当てはまるだろう。選挙なんてのは所詮、政治家の就職活動くらいに考えるのが妥当なのかも知れない。

そういった中で厄介なのは、弁が立つ人間だ。他者を論破出来る話術を持つ人は頼もしい。だが、それが本心から発せられた言葉なのか、それとも巧妙なレトリックだけでしかないのか判断しなければならない。

そして、ニセモノの言葉の中には他者への批判が含まれる事がある。自分を信頼させる手っ取り早い方法は、対抗する他者の信頼を失墜させる事であるからだ。しかしそれは、もはや言葉の暴力でしかない。

だからといって目には目を歯には歯をの精神で対抗するのは、いかがなものかと思う。暴力に暴力で対抗すれば、結局は同じ穴のムジナ。そして時として、対抗処置の暴力は攻め込まれた暴力以上になってしまう事もあるだろう。いくら正義や正論を振りかざしても、それを実現させる手段が間違っているのならば、すべてが水の泡である。

自らの主張が正しいとの自負があるなら、それを伝達する正しい手段を身につけるべきだろう。それが出来ないのは、怠慢でしかない。世間は、その部分を厳しく評価している筈だ。だって世間は、その努力を日々懸命に、しかも当然の事として行なっているのだから。

本作は政治の裏側に迫っているのは間違いないのだが、すごく個人的な視点で描かれている。つまり、設定された舞台のスケールの大きさとは裏腹に、実にプライベートな物語になっているのである。なので、重厚な政治ドラマを期待すると、多少なりとも期待外れだと感じるのかも知れない。だがしかし、そうした事で実は物事の本質に迫っているのだと思う。

大袈裟に聞こえるかも知れないが、ある意味で信頼とは未来を託す事だと思う。まだ見ぬ大切な未来を、自分ではなく他人に預ける事が出来るか否か。そんな事を本作は、主観と客観が入り交じった個人レベルな視点を用いて語りかけているように感じる。そして、信頼したからには信頼された側だけではなく、信頼した側にも責任がある事を忘れてはならない。

実力派を揃えた贅沢なキャスティングも本作の特長だ。彼らの美技にも注目したい。


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