自分勝手な映画批評
イノセント イノセント
1975 イタリア 124分
監督/ルキノ・ヴィスコンティ
出演/ジャンカルロ・ジャンニーニ ラウラ・アントネッリ ジェニファー・オニール
フェンシングの練習に汗するトゥリオ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)。そこに迎えが来たとの知らせが入り、トゥリオは練習を切り上げ、その場を離れた。

眠らないでくれ、幕引きを見せたいから…

原作はガブリエーレ・ダヌンツィオの小説「L’innocente 罪なき者」。イタリアの上流社会を舞台に、身勝手な男が招いた悲劇を描いた作品。

1972年公開の「ルートヴィヒ」の撮影中に倒れて以来、左半身麻痺の後遺症が残ったルキノ・ヴィスコンティ監督が車椅子で演出を続けた作品。結局、本作がヴィスコンティの遺作となった。





イタリアの名門エルミル家のトゥリオはジュリアナという妻がいるのだが、テレサと浮気をしていた。テレサは他の男の存在をほのめかしてトゥリオを挑発し、トゥリオが妻帯者と知っていながらも自分だけに愛情を注ぐようにと仕向ける。その挑発にまんまと引っ掛かったトゥリオの心は一層テレサに傾くのだった。トゥリオはジュリアナをごまかし、テレサと一緒にフィレンツェに旅行に出掛けようとしていた。テレサの存在を薄々感付いていたジュリアナは、真相をトゥリオに問う。そこでトゥリオは、ジュリアナは大切な人で夫婦関係は続けて行きたいのだが、もはや妹のような存在だと正直な心境を告白し、更には今はテレサに夢中である事も認めるのだった。トゥリオは旅立ち、心を痛めるジュリアナは取り乱した。その時、トゥリオの弟フェデリコが家に連れて来たフェデリコの友人、小説家のフィリッポ・ダルボリオと出会うのだった。





本作をごく端的に言い表わせば、愛憎が入り交じったメロドラマである。そう言うと俗なテレビドラマのようで、どこか安っぽく聞こえてしまいそうだが、決してそんな事はない。

本作から感じるのは絶対的な気品だ。内容のドロドロ具合や過激さはどの作品にも負けないくらいなのだが、その一方で上流社会らしい優雅な気品はしっかりと残っている。それは劇中に登場する強烈なエロスをも手懐けて包括し、作品全体を絵画的な芸術作品のようにさえ感じさせる程である。この辺りは他の作者では真似の出来ないヴィスコンティならではの美的センスであるように思う。

また、宗教的な思想が重要なポイントであるのも本作の特徴だと言えるだろう。ただ、中には信仰心が強い人もいるのだろうが、全般的に日本人は信仰心があまり強くないとされる。斯く言う私もその一人である。そういった人間からしたら理解し難い世界のようにも感じるのが当然。しかし実際には、私でも容易く理解出来る程である。

もちろん信仰心が強い人の方が、親身になって感じる事が出来るのではないかと思う。だが一方で、却って信仰心が強くない、一歩引いた立場の方が大局的に捉える事が出来るのではないかと感じるところもある。なので、あくまでも信仰心が強くない私の意見だが、宗教的な要素があるからといって難しく考える必要は全くないだろう。

トゥリオを演じるジャンカルロ・ジャンニーニが良い。セクシーな瞳で語りかける事により、酷く利己的な男を正当化させている。トゥリオの妻ジュリアナを演じるラウラ・アントネッリも見事。可憐さや健気さ、母性や色気等々、女性らしさが一個人のキャラクターに凝縮されている。

前述のとおり、本作はヴィスコンティの遺作である。本作が最後だという意識がヴィスコンティにあったのか私には分からない。ただ、衝撃のラストシーンを見ればヴィスコンティの全身全霊が込められていると考えても不思議ではないだろう。


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