自分勝手な映画批評
甘い生活 甘い生活
1960 イタリア/フランス 174分
監督/フェデリコ・フェリーニ
出演/マルチェロ・マストロヤンニ アヌーク・エーメ イヴォンヌ・フルノー
ローマの上空をイエス像を吊るしたヘリコプター1台と、もう1台、それに同行するヘリコプターが飛んでいた。珍しい光景に、地上にいた女たちが同行するヘリコプターに乗っているマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)とパパラッツォ(ウォルター・サンテッソ)に、イエス像をどこに運ぶのかと訪ねた。

楽しいパーティーだったわ… でも、もうたくさん

新聞記者のドラマティックな日常を追った作品。

有名人のプライベートを狙うカメラマンを指すパパラッチという呼び名は、すでに日本でも広く浸透しているが、その語源は実は本作にあるらしい。パパラッチとは本作に登場するカメラマンの役名パパラッツォに由来するとの事である。

世界的な通称のルーツである事が本作の存在価値にプラスに作用しているのは間違いないだろう。ただ、そんな付加を与えなくても確かな見応えを感じさせる作品であると思う。

ゴシップネタのスクープを生業としている新聞記者のマルチェロは、今日もナイトクラブで相棒のカメラマンのパパラッツォを従えて仕事に勤しんでいた。その店で顔見知りの富豪の婦人マッダレーナと出会したマルチェロは、マッダレーナと一緒に店を後にし、一夜を共にする。翌日、自室に戻ったマルチェロは、婚約者で同棲しているエンマが倒れているのを発見する。

「甘い生活」とは、言い得て妙でありつつ、中々大胆な作品タイトルだと思う。私はイタリア語が出来ないので作品タイトルが意味するニュアンスの本当のところは分からない。ただハッキリしているのは、邦題の「甘い生活」という言葉からイメージするスイートな物語が描かれている訳ではない事である。

確かに、本作で描かれているセレブリティーの世界は大衆の羨望であり、好奇心をくすぐるところであるので、下世話ではあるのだがスイートなのかも知れない。しかし本作の本質は、それとは裏腹に至って辛辣である。それを知ってて、あえてイタリア語の原題の直訳「甘い生活」を邦題としたのならば、表舞台の馬鹿騒ぎを嘲笑するシニカルな遊び心を感じさせる高等なネーミングセンスだと言えるだろう。

3時間に迫る長尺の本作。そうなった理由は明らかである。それは、本作を構成する個々のシークエンスの独立性が極めて高いからである。

大多数の映画が場面を転換させ、いくつかのシークエンスを有しているのは言うまでもない。ただ、それらのシークエンスが物語の本筋に準ずるように構成されているのも言うまでもない事実であるだろう。

本作のシークエンスも物語の本筋から背くように存在している訳ではない。但し、本筋との関係性以上に独立性が際立っており、もう少し発展させれば個別のストーリーとして十分に成り立つと思える程である。なので、実際には不十分ではあるので多少大袈裟な物言いにはなるのだが、ちょっとしたオムニバスのような様相も呈しているのである。

このような形態をしているから3時間に迫る作品になってしまったのだと思う。だから率直に言って散漫に感じる面もある。もっと統一感を求めてシェイプし、コンパクトに仕上げる事は可能であっただろう。しかしながら、そうしなかった事が本作の価値であるだろう。

面白い事に、雑多を並べた事で逆に鮮明になってくるのは個である。すなわち本作は、様々な出来事が生じる騒々しい外部から視点を用いて、一個人のパーソナリティーを照らしている作品なのである。

多種多様のシークエンスで、ただひとつ一貫しているのは主人公のマルチェロだ。華やかなマスコミ業界に身を置くマルチェロの公私共々に忙しい日常のピースを繋ぎ合わせる事、つまり、その時々に表れるマルチェロの違った側面を繋ぎ合わせる事でマルチェロの生き方、人格を立体化させているのである。

一見すると回りくどい手法のように思えるのだが、見事なまでにマルチェロの人物像が浮き彫りになっている。百花繚乱な世界を舞台にしながらも、つまるところ、酷く内向的で一人称な作品だと言えるだろう。このような本作の在り方は、テーマへのアプローチこそ内側からと外側からとで根本的に違えどフェデリコ・フェリーニ監督の次作「8 1/2」の礎になっているように感じる。

作品世界の視聴覚的な美しさも本作の見どころである。モノクロ映像を美しいとするのは可笑しな事なのかも知れないが、白描に染められて映し出されたイタリアの情緒は実に魅力的である。気品を感じさせる音楽も素晴らしく、作品のムードを盛り上げている。


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