自分勝手な映画批評
あしたのジョー あしたのジョー
2011 日本 131分
監督/曽利文彦
出演/山下智久 伊勢谷友介 香里奈 香川照之 勝矢
土手で昼寝をしているジョー(山下智久)。そこに子供たちが現れジョーのポケットに手を入れ金を盗み出そうとした。「金なんてねえぞ」。ジョーがそう言うと子供たちは逃げて行った。そこには子供たちが忘れて行った紙飛行機が残されていた。

俺と明日を目指さないか?

世間を見放した不良少年が宿命のライバルに出会い、彼をボクシングで倒す事に情熱を傾ける姿を描いた作品。

原作は言わずも知れた高森朝雄・ちばてつやの漫画、及び、それを元としたテレビアニメーション作品である。登場人物の力石徹の葬儀が実際に行なわれたり、よど号ハイジャック事件の犯人が「われわれは明日のジョーである」と声明したのは有名な話だが、それだけあしたのジョーは社会に大きな影響を与えた作品であった。

丹下段平は昔はボクサーだったのだが、今は職に就かずに酒まみれ借金まみれの自堕落な生活を送っていた。ある日、段平は自分の住む街、ドヤ街の食堂でヤクザに借金の返済を迫られる。返済のあてもなく酒に酔っている段平は、ヤクザにされるがまま暴力を振るわれてしまう。そこにはジョーと子供たちが居合わせていた。ジョーは段平とヤクザの争いには無関心だったのだが、ヤクザが子供の紙飛行機を踏み付けた事で、その争いに加わる事となる。束なるヤクザたちを片っ端から殴り倒すジョー。その光景を目の当たりにした段平は、ジョーにボクサーにならないかと薦めるのだった。この騒ぎで警察へと連行されたジョー。本当ならば正当防衛も成立しそうな状況であり、段平もジョーの釈放を嘆願するのだが、ジョーには山ほど前科があり、少年院へと送られてしまう。それでも諦められない、ジョーの才能に惚れ込んだ段平は、少年院にいるジョーに「あしたのために(その1)」と名付けたボクシングの手ほどきを書したハガキを送り、自分も生活を改め、ジョーの出所を見据えて工事現場で働くようになった。

原作を持つ作品の逃れられない宿命は原作の残像との戦い、すなわち原作との比較である。特に原作が名作との誉れを得ている有名な作品であれば、その傾向は顕著であるだろう。

それは偉大な親と、その子供という関係に似ているのかも知れない。親の七光りならぬ原作の七光りは、期待感や注目度、話題性といったところに現れてくる。但し、おそらく恩恵はそこまでである。逆に、その恩恵が仇となる場合も往々にしてあるだろう。利点がある反面、明らか、且つ完全無欠な比較対象があるが故に通常よりもシビアにジャッジされてしまうのが偉大な原作を持つ作品の、これまた宿命である。

率直に言って本作は、偉大な原作の魅力を継承、あるいは再現出来ているとは言い難い。但し、それには考慮してあげなければならない事案が存在する。それは本作で描かれているストーリーが、とてもじゃないが1作品で収まる規模ではないという事だ。この事は、本作と基本的には同じ内容の1980年公開のテレビアニメーションの劇場版の出来映えがダイジェストのようになってしまっている事実を鑑みれば、ある程度の理解を得られるのではないかと思う。

本作では原作の魅力であったジョーの哀しみ、力石の余裕、白木葉子の強さが絶対的に不足している。だが、それは描くスペース、あるいは感じさせるスペースがなかったという時間的な問題も大きく関係している事だろう。個人的には原作の魅力を継承・再現するのならば3部作にするくらいが適当ではないかと思う。ただ、言い換えれば、ボリュームあるストーリーを取捨選択して整え、更にはアレンジも加えて2時間強に首尾よくまとめた手腕は実に見事であると言えるだろう。

しかし、そうは言っても原作ファンの不満は解消されないのかも知れない。漫画、アニメーションと実写との間に生じるイメージのギャップは、そう簡単に払拭出来るものではない。だが、私としては存分に楽しめる作品であった。その要因となるのは本作が創造した作品世界の素晴らしさである。

本作の舞台は、おそらく原作の設定に則って昭和40年代であるだろう。だが私には昭和40年代ではなく、ちょっとした異空間、ある種のパラレルワールドのように感じたのである。現実を装いながらも、どこか現実味がない世界。この感覚はバットマンの実写版に似ているように感じた。

このパラレルワールド感は、本作の独自性を強くアピールしている。そして、そのアピールには説得力もある。つまり、本作の作品世界には、原作と比較しようとする考えなど封じ込ませる、あるいは原作の呪縛から解放されるだけの完成度とパワーが感じられるのである。

そもそも、あしたのジョーは漫画とアニメーションとでは作風が異なる。アニメーションは骨格は漫画を踏襲しつつも、演出の出崎統の哲学と美意識で漫画とは違った魅力を持つ作品へと発展させた。そのメカニズムは本作にも当てはまるのではないだろうか? そういった解釈に至るだけのものを本作は提供していると思う。

本作は、偉大な原作を超えたとは言えないのかも知れない。だが、偉大な親の七光りに甘んじず、他分野で勝負を挑み実力を発揮する子供がいるように、本作は原作とは違う座標軸で独自の方法論を用いて表現したあしたのジョーであり、それを見事に結実させた作品だと思う。

あしたのジョーの物語には続きがある。本作のクオリティーを見せつけられれば、続編を観てみたい気にさせられる。

ジョーを演じる山下智久と力石を演じる伊勢谷友介の不屈の役作りの象徴である鍛え抜かれた肉体も本作の大きな見どころとなるだろう。

余談だが、アニメーションでジョーを演じたあおい輝彦はジャニーズ出身。後輩の山下が本作でジョーを演じるのは、中々面白い巡り合わせだ。


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