自分勝手な映画批評
アヒルと鴨のコインロッカー アヒルと鴨のコインロッカー
2006 日本 110分
監督/中村義洋
出演/濱田岳 瑛太 関めぐみ 大塚寧々 松田龍平
大学生になった椎名(濱田岳)は大学のある仙台に引越してくる。椎名が引越しの片付けをしながらボブ・ディランの「風に吹かれて」を口ずさんでいると、河崎(瑛太)に声を掛ける。

隣の隣の住人

原作は伊坂幸太郎の小説。故郷を離れて一人暮らしを始めた大学生が、隣人に声を掛けられ、ミステリーの渦に巻き込まれて行く。

良く出来た作品だ。優れた脚本、優れた原作の証しであろう。ミステリーの手法といい、現在と過去を行き来するカットバックの手法といい、作品の展開自体、飽きる事なく引き付けられる。しかし、それはあくまでも手法であり、本作には色々な要素が詰まっている。

外国人、偏見、孤独、宗教、友情。それらが上手く関連し、また、それらが少しずつズレることにより生じる成りゆきが絶妙である。しかし、その色々な要素は単に物語を進める為の安易なアイテムではなく、しっかりと意味を成している。モノクロを効果的に使用しているが、意味を持った使い方をした演出意図がしっかり感じられるのも良い。

本作に大きな作用をもたらしているのは外国人を主要登場人物に据えた点だろう。本作でフィーチャーされているボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」は、「どれだけやれば報われる?」の問いに、「その答えは風の中にある」と答える曲。見知らぬ国での偏見や差別に伴う戸惑い、そして孤独。そんな時、ふっと現れた優しき理解者。それは対人間として接してくれる真の友人。留学生ドルジは「風に吹かれて」に思いが通づるところがあったのではないかと思う。

さらには宗教観も影響しているのではないかと思う。日本人は宗教に対する信仰が薄いと言われている。多分にもれず私もそうだ。そんな私には想像つかない尺度で外国人にとっては宗教が大事だったりする。そう考えれば、本作にしっかりと一本筋が通るのだと思う。信仰心がある者にとって神とは絶大な存在。しかし親愛なる友人や恋人が神の存在を定義し、自分を思って神の目を隠すような大それたことをしたのならば… それがすべてではないのかもしれないが、どこか支えになっていたのかもしれない。

大学生を主役にしたことも本作の不思議な世界観を演出していると私は感じる。極端な言い方をすれば高校生までの集団での受動的な日常から逸脱し、自ら進んで行動しなければならない大学生。本分である勉強はもちろん、拠り所となる友達も自ら進んで掴み取らなければ、何ひとつ前進せず構築しない。だから積極的に足を踏み入れ、多くを吸収しようとする。特に入学したての頃は顕著なのかもしれない。失われた高校生までの与えられた環境での価値観を埋めるように。未熟な自身の判断力で善・悪、要・不要もあやふやなまま貪欲に。

しかし結局はある人にとっては会社勤めをすれば、それまでの集団での受動的な日常に戻るのかもしれない。責任感こそ違えど、日々変わらぬ同僚とルーティンのように変わらぬ与えられた仕事。だが、個を積極的に見つめられる大学生の時期を人生のターニングポイントにする人もいる。大人と子供の狭間の、ある意味無垢な状態のエアポケットのような不思議な時期。この世界観が上手に表現されていると思う。

また、地方都市を舞台にした点も良いと思う。牛タンのくだりは出てくるが、ご当地色が全面に出されているわけではない。物語に関係のないご当地の名所の描写はあきらかに浮いてしまう。そもそもご当地の名所に関係のない生活はいくらでもあるはずである。本作が仙台を舞台にする大きな意味は感じられない。しかし仙台を舞台にするからこそ、さりげなさが出てくるのだと思う。

若き個性派の濱田岳と人気者の瑛太の共演。まず印象に残ったのは瑛太だ。難しい役どころであるが、期待を裏切らず演じている。期待を裏切らないとは、彼のイメージを突飛に崩さないとの意味だが、だからといって面白くないとか小さくまとまってるといった事ではない。外側に弾けるのでなく、内側を深く掘り下げたような彼の演技は素晴らしく感心した。濱田岳の彼らしいファニーなキャラクターは相変わらずであり、やはり魅力的だ。関めぐみの真直さ、松田龍平のカリスマ感も説得力がある。


>>HOME
>>閉じる





★前田有一の超映画批評★

おすすめ映画情報-シネマメモ